アレクサンダーテクニックとは

                        ルカス・ロレンツィ(STAT公認アレクサンダーテクニック教師・ATC京都主宰、JSTAT会員)
  アレクサンダーテクニック(アレクサンダーテクニーク)という名を聞かれたことはありますか?
私は、STAT(アレクサンダーテクニック指導者協会)の認定を得て以来、ドイツ、現在は日本で、このアレクサンダーテクニックを30年近く教え、その教師養成の指導にも携わっています。
  人は、日常の動作の繰り返しの中、多くの習慣を発達させています。その習慣には、動作を達成し易くする習慣もあれば、気づかぬうちに、望む動作の邪魔をしている習慣もあります。アレクサンダーテクニックは、自己を認識させ、本来の能力発揮を妨げる不必要な習慣を除き、目的に合った動きの習慣に替えていくという、自身(身体・精神)のより良い使い方の学習過程といえます。教師がデリケートな手のタッチと言葉で指導する際、その新しい感覚を通して生徒は、如何に筋肉運動の整合が働き、自ら緊張を作り出しているか、如何にその緊張を防ぐ・解除するかを学び、知らないうちに自らに害を与える行動をしないようになります。身体の状態・動作の改善は、自由な動き、バランス、より大きなエネルギーとともに、身体・精神の機能改善、能力の発揮に結びつきます。

  アレクサンダーテクニックは、F.M.アレクサンダー(1869-1955)により、1890年代後半に確立されました。演劇俳優であった彼は、演技中の発声に支障をきたすも医学的に治せず、休養するしかないと診断されます。自己観察の後、彼は自らの発声動作の習慣に問題があることを発見し、さらに、劇的に演じたいと思うと無意識に喉に負担をかける癖を、無理なく且つ幅広い表現のできる発声という動作に、自然でしかも意識的に換えるにはどうすればよいか、体系的に原理を展開してゆきました。彼は主に英国・米国で指導しましたが、ジョージ・バーナード・ショーや、ジョン・デューイ、オルダス・ハクスリーらも熱心な生徒であったことは有名です。アレクサンダーが育てた後継の教師たちによって、世界に普及した同テクニックは、腰痛や肩凝り、腱鞘炎など身体的な問題を持つ人、コンピューター職、医師、看護士その他、非能率的な身体的習慣を引き起こしがちな職業に従事する人など、体の使い方に問題がある人なら誰にでも役立つため、積極的に医学分野でも取り入れられ、市民大学や企業でもレッスンが提供されています。
また、特に、演劇・音楽・舞踊・スポーツ界において、最善で能率よく身体を使わなければならない人たちの、心理・身体の再教育方法としても、高く評価されています。私の母国ドイツでも、音楽・演劇大学で毎週授業が行なわれ、講師として私も勤務してきましたし、職業病に悩むオーケストラ奏者やソリストたちの復帰の手助けや、様々な楽器の教授の講習会で、演奏向上のための指導が行なわれています。現在、私と妻のピアニスト笠原純子は、アレクサンダーテクニックセンター(ATC)京都において、アレクサンダーテクニックとピアノを常時組み合わせたレッスンを行ない、各地で講習もしています。自分の“身体と精神”と、よりコンタクトを持ち、演奏時の不要な癖を見つけることは、奏者と楽器の最大限の可能性を引き出す演奏につながります。

  アレクサンダーテクニックは、日常の動作レベルで腰痛や腱鞘炎などを防ぐだけでなく、スポーツ・武道・音楽・舞踊など専門的な場面で、なぜ必要とされているのでしょう。
  音楽演奏において、頭の中のアイデアや心の感情を、いつも理想のフォームで自由に表現できるなら誰も苦労はしません。芸術的な表現には、長時間の練習や偶然によって上達するような感覚や感性に頼ったものでなく、常に無駄なく再現できる高度な身体の動きが必要です。硬くて伸びない音で楽器と格闘したり、緊張すると表現技術の弱点が出たり、奏者の問題は様々ですが、それらの多くは、自分を妨げる何らかの動作・知らないうちについた癖が原因です。この癖を持ち続けるかぎり、練習をするほど悪い癖が固まり上達は望めないし、無理なフォームは身体各部に大きな負担をかけ、痛めてしまいます。
  悪い癖を取ればよいと頭ではわかっても、長年していることは正しいような気がするので、何が自分を妨げる不要な癖なのか気づいたり、各々がその性格や心理と絡んで、長時間かけ発達させてきた習慣を取り除いたりすることは大変に困難です。そこに、教師が鏡のようになり、生徒に新しい体験を自らの中に発見させる必要性が出てくるのです。アレクサンダーテクニックは、外部からの刺激や自己の意志に対する無意識で機械的な反応や、誤った知覚・習慣の持つ力を認識、それらを抑制、刺激に対する新しい反応のための筋肉の動きをおこすよう意識的に自分に方向を与える、という過程をもつ、変化の手助けをする指導法として広まっています。その科学的な再教育の実用性については、すでに何名ものノーベル生理学・医学賞受賞者たちが、その著述で言及しています。
  演奏中に良かれと思って、あるいは無意識のうちにやっていることが、実は自在な表現を妨げる不要な習慣であったりすることを認識し、何が余計なのか知覚できる力、動きの前に抑制できる力、必要な方向を選択し自己に与えることができる感覚が、レッスンで徐々に取り戻されます。心身の不要な癖を取り去り、より必要な部分を使えるようになることは、動作の違いは僅かでも、力の流れにおける違いは非常に大きく、より効果的で建設的な反応、コントロールのし易さ、柔軟な動きなど、本来の力が発揮されるのです。自分のしていることをよく知ることで緊張のし過ぎを緩和し、身体への圧力によって起こっていた痛みを軽減し、結果としてより少ない負担でより高いレベルの演奏することになります。
今まで何度か述べたように、アレクサンダーテクニックの原理には、抑制と方向づけという同時に必要な2つの柱があります。例えば、脱力した方がよいということは、音楽演奏やスポーツの場面で広く知られていますが、力みを“抑制”し、力の抜けた状態だけで“方向性”が無いとき、音は硬く汚いものになってしまうし、幅のある豊かな音楽表現は出来ません。方向を与えるとはすなわち、本当に必要な身体の使い方、表現に必要な技術や、音楽的アイデアを自分に与えることであり、必要な方向を与えれば、良い演奏が生まれるわけです。

  img055これまで述べてきたように、アレクサンダーテクニックとは、いわゆる“技術”という意味の「テクニック」ではなく、自身に内在していことに気づき、理解すべき“原理”という意味の「テクニック」といえます。日常のあらゆる動作における、自由さとバランスを妨げる、無意識な心と身体のつながりの癖を認識し、取り去れば、本来の器官や機能の完全な状態があらわれる=潜在力をより発揮できるという、人間誰もが持つ原理です。人は様々な場面で、つい頑張り過ぎてしまいますが、身体が張り過ぎでもたるみ過ぎでもない最適な調律状態であるとき、音楽家と楽器は境界なく一体となります。無駄のない動きは内に余力を蓄え、生来の軽やかさ・制御し易さ・しなやかさが現れ、幅広い表現、奏者・音楽・聴衆のつながりを感じるゆとりが生まれ、故障や疲労を最小限に留めます。
  演奏をしたり聴いたりする際に、伸びのない不快な強音、感情が高まる所や技術的な難所で自由さが失われる、リズム感良く弾いているつもりが実際は鈍い、指や体はよく動いているのに、奏者の周りだけ音が鳴っていて客席まで伝わらない、全ての音を正しく出してドラマティックに弾いているつもりが、思うほど陰影や立体感がない、制御しにくく偶然性に任せている、といった問題に出会います。それらは全て、自分を妨げる身体の力みや不要な動きのために、本当に使わなければいけない所を使えなくしているということに原因があります。このような、アレクサンダーテクニックの原理が働いていない、つまり身体各部に余計なことをし、全身のつながりが準備できていない状態であると、頭で考えている音楽と自分のしていることが直結しないのです。頭や心の中の音楽を表現する為に、必要な音の色や質・強弱・速度・長さ・構成等々を、身体を複雑かつ自然に使うことによって実現してゆく道具を技術と呼びますが、身体の余分な力みを抑制すると同時に、これらの技術・良い方向を自分に与えられる状態が、アレクサンダーテクニックの原理を使った演奏といえます。必要なことをしているつもりが実際はしていない、必要な所を使いたくても自分で妨げている、などの状態に気づき、必要なものを如何に使うかという方向を、自身に選択してゆけるということは、技巧が内面性や自己主張と結びつく、つまり技巧が完成されればされるほど、奏者の芸術表の可能性が広がることになるのです。
  ATC京都では世界でも数少ない例として、演奏における方向性の理解を高めるために、アレクサンダーテクニックとピアノの両専門家を同時に組んだレッスンも提供しています。静止時や簡単な動作に、抑制と方向を与えるのは容易でも、それを常にダイナミックで複雑な動きに機能させるのは難しいし、頭ではわかっても身体はすぐに変化しないほど、長年培ってきた間違った知覚や習慣の力は大きいものです。アレクサンダーテクニックは、シンプルなゆえに、簡単なものではありませんが、自身に対する日々の誤用によって引き起こされる痛みやストレスを軽減するよう身体を変えるだけでなく、人生を歩んでいく中、身体・精神・感情の変化の流れと調和した自分でいられるため、様々な日常の瞬間において柔軟で、バランスのとれたコンディションをつくる能力と喜びを与えてくれるのです。
(ATC京都ホームページ:)http://www.alexandertechnique.ne.jp http://www.jstat.jp