音楽誌評より 笠原純子

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20140109185551(29)…  フィルハーモニア・カルテット・ベルリン(PQB)の結成30周年ツアー。PQBは小型のベルリン・フィルのように、滅法上手く清潔感がある。・・・後半は笠原純子が加わってブラームスの《ピアノ五重奏曲》。冒頭硬さがみられたが、提示部反復から俄然ノリが良くなる。展開部での笠原のピアノの粒立ちもよく、弦との対話もきれいだ。・・・笠原もPQBも後になるほどよくなる。スケルツォはほの暗い情感と激しい爆発がまことにスリリング。気分の激変とヘミオラのリズム衝突、そして甘やかなトリオとの対比など、全く見事だ。終楽章も同様で、とりわけコーダのリズムをかえながら畳みかける頂点形成は、息詰まるほどで、笠原もPQBもその実力を遺憾なく発揮した。(ムジカノーヴァ誌)

KIKT6000…  今回とくに印象を受けたのは、卓越した演奏力を持ち合わせたオタ・バルトシュ(ヴァイオリン)、ヤロスラフ・ポンヂェリーチェク(ヴィオラ)、フランティシェク・ホスト(チェロ)と笠原純子(ピアノ)がまさに阿吽の呼吸の如く曲の流れを創り上げていく輝きに満ちた演奏であった。メンデルスゾーン《ピアノ三重奏曲》とドヴォルザーク《ピアノ四重奏曲》を組み合わせたプログラムは、今回3回目の共演と云われる笠原純子とチェコ・フィル弦楽三重奏団の一体感に満ちた演奏によって生かされ、時空を超えて室内楽の素晴らしさを客席に伝えた。 (ムジカノーヴァ誌)

……  ベルリン・フィルのメンバーによる室内楽アンサンブルの1つ「フィルハーモニア・カルテット ベルリン」の京都公演・・後半はシューマンのピアノ五重奏曲でピアノは笠原純子。これがとても良かった。音響的にも構成や表現の上でも真に対等で内発的なアンサンブル力を発揮した。経過句などの緩急の扱いにもセンスを感じさせたし、第2楽章のアジタートの部分や3楽章の急速な音階パッセージも響きに丸みが保たれて心地よく前進。終楽章ではフーガとともに高揚感あふれるコーダをリードしていった。 (関西音楽新聞 現:クラシックノ―ト)

pict_p2_7b……キャンドルライトの輝きがゆらめくように、モーツァルト・ピアノ協奏曲第21番が、笠原純子によって、演奏された。この若いピアニストは聴衆に語りかけ、贈るものをもっている。 -華麗なピアノ演奏テクニックと音楽性、モーツァルトの音楽の本質すべてへの深い理解-。我々は彼女の、感受性高く、少しもの悲しい、そしてときにはユーモラスな茶目っ気をみせながら非常に活気にあふれたモーツァルトを聴くことができたのである。                  (ロシア・インテレクチュアル・カピタル誌 )

img054……  大胆で繊細なドビュッシー・・音は冴え冴えとしてどのようなタッチで、どの程度の明晰さやぼかしを入れるのか、曲想をどういうタイミングで変化させていくか、常に狙いがはっきりしている。迷いがない。演奏自体は丁寧で、たっぷり時間をかけて一音ずつ読み解いてゆくのだけれど、曲に思わせぶりな間合いを取ることはなく、一曲が終わると、サッと次へ切り替えるので、曲と曲とのコントラストがはっきりする。繊細さと、映画のモンタージュを思わせる大胆さのバランスが絶妙だった。      (コンサートレポート 音楽評論家・ 白石知雄氏)

……  聴衆は我を忘れてうっとりとなった。演奏中のその価値を認める静けさと、その後の割れるような拍手。非常に熟練したテクニックのもと、その深い音楽性は驚嘆に値するものだった。大変な流動力を持ったこのピアニストの演奏は、どこかある所で角立つことが決してなく、自然なリズムで展開し、豊かな感受性と、作品の内面性を表現した。誰一人としてのがれることのできない説得力。  (フランス、ロレーヌ新聞)

pict_p2_11b……  笠原純子は、若いが、すでに素晴らしい表現の可能性を持った芸術家。成功に満ちたキャリアを築くために必要な資質を持った芸術家。演奏のしなやかさとヴィルトゥオーゾ性優れた技巧を自在に操った。 (フランス、ロレーヌ新聞)

……  生き生きした適度な歌心を盛り込んだ美しい表情を聴かせた。作品に合わせて音に強さを加え、楽想に応じた気分の変化も巧みに余裕さえ感じさせる充実した内容。汚い音がない、コントロールの良さ。モーツァルトも素直でいて表情豊か。ショパンは一段と華麗にそしてロマンティック。知的な表現でいて豊かな音楽性が感じられ、楽しめる演奏。 (音楽の友誌)

pict_p2_14b……  国際的な経験をもち、また世界的に招待されているピアニスト笠原純子が求めるところの多いぜいたくなプログラムでリサイタルを行った。そこで聴かれたものは自身と聴く者に対して決して軽々しくならない一人の芸術家であった。彼女はどの作品にも個人的な推進力を満たす。彼女のスタイルはグッとつかむような力強さをもち、情熱的で時には嵐のように激情的でさえある。文字どおりピアノによる冒険へと、一流のテクニックと磨きをかけられた音色の幅をもって飛びこみ、最初の一音から聴衆を彼女の思考世界、作品に対する見解へと包み込む。彼女は、全く耳新しい、しかし徹底して考えられ、妥協なく奏される解釈― 真の感情そのものであり、一瞬も感傷的にならないもの ―によって聴衆を魅惑しつづけた。スクリャービンの前奏曲作品11から選ばれ賢く配置した曲を、彼女は細密画のように愛情深く、そして大きな一つのクレッシェンドのように描き、最後の6番の雷のとどろきのような和音で嵐を吹き起こすまで、いわば広大なタイガの地へと聴く者を運び去った。ベートーヴェンの有名なハ短調ソナタ“悲愴”では、29歳の作曲家が、せまりよる聴力の喪失を目前にして音に表したところの、内なる精神的打撃が大いに聞かれた。第1楽章は、前にと圧迫するエネルギー、力、勢いと劇的緊張をもち、嵐と切迫の楽章であった。アダージョの歌うような、静かで長く張りつめた調べのあとの、華やかな花火を伴ったようなロンドは、独奏者の名人芸だけではなく、荘重に苦しみに対して対抗する表現として感じ取られるものであった。ショパンの最後の大きなピアノ作品、ポロネーズファンタジー変イ長調作品61は笠原純子の緻密に形づくることのできる構築力手腕によってほとんど交響的な作品として表現された。シューマンの“クライスレリアーナ”作品16も勢いのあるテンポ、激しい迫力をもって演奏されたが、それもまた、ピアニストの並外れたテクニックと造形力を明確に示した。彼女は、ドビュッシーの2曲のアンコールにおいてもまた、鍵盤を弦楽器のように奏し、そしてまた音量の幅の限界に苦もなく達することができたが、いったい彼女がこれらの力をどこに隠していたのかと聴衆は唖然として自問するのであった。  (ドイツ、 ラインプファルツ新聞)

pict_p2_32b…… 笠原純子の来演は、市の文化生活にとって、大きな贈り物であった。世界的エリート・・その前評判は、この夜にも再確認された。第一曲目からすぐに彼女は、意のままに操ることのできる、繊細に調律された表現の幅を証明してみせた。多面的でニュアンス豊かな演奏、見事に彫琢されたテクニックとつかみかかる力。彼女の演奏スタイルは、瞬間に消え去る音楽への妥協の無さといえる。ロマンティックにおぼれることを意識的に避け、濁ることなく流れ続ける演奏。笠原純子は、ある一定のテンポの中で堅苦しくなることなく、ルバート好きの聴衆をも納得させるほど表情豊かな音楽を表出し、より大きな感激を聴く者にもたらしたのであった。 (ドイツ・バーデン新聞)

…… 光沢のある宝石のように磨きぬかれたピアニスト・・。   (ドイツ・ザールブリュッケン新聞)

pict_p2_5b……   この女性の魂深くには、活火山が存在するのだろうか。若く才能ある日本のピアニストのラヴェル・ピアノ協奏曲の演奏は、そのような印象を与えた。笠原純子は外面的にはとても繊細で華奢に見えるけれども、圧倒するような力強い手でピアノの鍵盤を支配し、長調の音を垂直に、天空に、作曲者に向かって飛翔させ、短調の音は、聴衆の心の中にまっすぐ浸透しながら、聴衆をみ込む。そして、彼女は、本当の感銘を与えたのだ!我が経験包豊かで洗練された聴衆は息を殺してコンチェルトを聴いた。そして、長く心からの盛大な喝采で報いた。 (サンクトペテルブルク・インテレクチュアル キャピタル誌)

……  3つの楽章を通して笠原純子のラヴェル美観がそのピアノ表現を通して示された。ラフマニノフのソナタは、笠原純子の個性が最も強く発揮された演奏であった。彼女の強さと激しさが演奏を通して示され、奏者の技法と内面性との統合体としての演奏(実像)というものがもっとも如実に示され、この日のリサイタルの棹尾を飾った。 (ムジカノーヴァ誌)

img079……  笠原純子は人をひきつける響きでもって、みずみずしくそして澄んだモーツァルトを演奏した。彼女は、確固さと卓越した様式によってこの曲を浮き彫りにした。(ドイツ, エルベ紙)

……  このピアニストは熟達した名人芸と感情細やかな演奏によって聴衆を悦ばせ、そして、彼らから心からの喝采と最上のコメントを得た。 (エクアドル、 エル・メルクリオ新聞)

……   二人の若い芸術家たちは、共に,完全な調和と個々の大きく、経験豊かな名人性を示した。 (ドイツ、ケレンターラー新聞)

pict_p2_13b…… ショパン3つのワルツはきれいな弱音と洒落たルバートで楽しめた。ショパン晩年の内面の陰とそれを振り払うかのようなワルツの躍動感との対比。スクリャービンのワルツ作品38は、神秘和音の響きの特徴がよく生かされ、スクリャービンらしいきらめきがある。後半の次々と転調してゆく気分の移ろいも味わい深い。舞曲作品73は作曲家晩年の無調的な、あるいは複調的で自在なテクスチュアの中で、響きの色合いが絶妙に変化してゆく。その不思議な浮遊感がよく捉えられていた。 (関西音楽新聞)

…… 何よりも、笠原の作曲家への熱い共感を確かに伝えた。 (音楽の友誌)

pict_p2_29b…… ありふれた解釈に一石を投じる。・・技術や音色を磨くだけではおもしろくないし限界がある。ではどうするか、笠原純子が弾いたリサイタルは、貴重なヒントを得る機会となった。・・スクリャービン晩年の抽象的な音の世界を浮かび上がらせた好演。幻想曲作品28も、甘い響きが削ぎ落とされ、神秘主義時代の曲かと錯覚するほどだ。この作曲家の特徴を浮き彫りにする・・ひとつの発見であった。  (ムジカノーヴァ誌)

img052……  日本・大阪出身のピアニスト笠原純子は最もレベルの高いピアノコンサートを行った。 (ドイツ、ラール新聞)

……  第一音から聴衆を心酔させた。・・真珠のような音の響きでもって、演奏は軽やか、優雅、そして流麗。 (ドイツ 、バーデン新聞)

……  笠原は現代でもピアノ作品中で難曲といわれているブラームスのパガニーニの主題による変奏曲作品35イ短調(全2巻)を通して演奏した。各変奏を一曲一曲柔らかみのある音でていねいに弾いてゆき、背伸びをしないで自分の柄に合った弾き方をしていたのが印象に残った。ややもするとブラームスはピアニストによって音が重くなったり、肩ひじを張った堅い音であったり、構えだけががっちりとして無味乾燥になったりする演奏に出合うことがあるが、笠原は、気負い過ぎず、音の流れを素直に受け入れて、フレーズを唱うようにつとめ、美しい響きを保っていた。そして音楽は感性豊かに潤っていた。音楽にじっと耳を傾けて一音一音を大切に弾いてゆく誠実さと優しさをこの曲で持ち続けられたということは、笠原のピアニストとしての資質がなかなか得難いものであることを物語っている。 (ムジカノーヴァ誌)

pict_p2_43b……   その夜第2部の女王は、笠原純子であった。彼女はショパンの協奏曲ホ短調作品11を演奏したが、Junkoと Frederick(ショパン)は、まるで完全に理解し合っているかのようであった。この偉大な作品の愛の感情・優しさ・情熱が、感性の高い演奏者の心によって反響される。ショパンと同じくらいのヴィルトゥオーゾを念頭に書かれたこの作品に対し、ピアニストは、秀れた名手であることをも示した。ショパンのこの曲は言うまでもなく、今までに数多く、そして様々な解釈で弾かれてきたが、笠原は彼女“自身”のショパンを創り出すことに成功した。その演奏は、よくあるような、腕力にまかせたやかましいffや単純なクライマックスによってではなく、この華奢な女性の内からみなぎる意志とあふれ出るパワー、そして甘く官能的で優雅な叙情とによって、曲の真価を聴衆に理解させたのである。余計な感傷抜きの、信頼に満ちた親密感。華やかな演奏テクニックを伴った洞察力と、美的な優雅さが、彼女の演奏を特徴づけている。…笠原純子は、世界で高い評価を受けてきたサンクトペテルブルク伝統の“軽やかな指”と、ヨーロッパ文化への理解・会得による真の音楽文化の気風を持つ。以前にも彼女はこのシンフォニーオーケストラと共演したが、今回は、世界有数の指揮者で、同オーケストラから素晴らしい響きを掴み出すR・マルティノフを共演に得たのである。 (ロシア・サンクトペテルブルク誌 )

……   笠原純子さんのこと
関西を基盤に活動を重ねてきたピアニスト笠原純子さんの演奏を初めて聴いたのは、1999年のことであった。たしかプロコフィエフの第2番のソナタであったと思うが、知的で勢いのある演奏家の登場として注目し、その後、東京でも関西でも回を重ねて聴いてきた。ソロばかりでなくチェコやベルリンの奏者たちとの室内楽も含めて、その間の音楽の熟成ぶりは見のがせない。自己はもちろん、他の音楽家たちへの読みが深まり、音楽を巧まずして楽しませてくれるのがよい。
(2015年11月チェコ・フィル弦楽三重奏団&笠原純子 京都公演チラシ寄稿  藤田由之)

Press reviews 

…The pianist Junko Kasahara, from Osaka in Japan, gave a piano concert which satisfied the highest expectations…                                                                                                – Lahrer Zeitung     

Junko Kasahara was convincing from the first sound onwards…her performance fascinated the audience with sparkling sounds which were light, elegant and fluent. The summit of her performance was J.Brahms’ piano pieces Op.118. Enough opportunity was offered to observe the ability of the pianist and convince oneself of the strength of sound, dramaturgy of the performed ballades and the tender closing tones. A musical delight.                                          – Badische Zeitung

The Pianist J.Kasahara graced the audience with her masterful and sensitive interpretations and was honoured with the best commentaries.                          – El Mercurio

Junko Kasahara played a fresh Mozart interpretation which sounded pleasant and clear. Commitment and sovereign arrangement moulded the piece.                                               – Die Elbe

Without reservation, the audience allowed themselves to become spellbound. There was a striking silence during the interpretation followed by loud applause. The remarkable dexterity of her fingers produced a profound musical marvel. The performance of this young pianist developed with a natural rhythm, was fluent – devoid of resistance – and expressed with much strength her feeling and internalization of this piece. A conviction that no one could oversee…                                                                                                                      – Republicain Lorrain

Junko Kasahara is young but already a blessed artist with a very good expressive potential. Without doubt, she possesses all necessary qualities for a successful career. She expressed a smoothness in her performance and virtuosity was allowed to run free…      – Republicain Lorrain

Both of the young performing artists together demonstrated total harmony as well as individual experienced virtuosity.                                                         – Koellertaler Anzeiger

 Junko Kasahara, the internationally called for and experienced pianist, presented a classic-romantic evening to satisfy highest expectations. To hear was an artist who did not make it easy either for herself or her audience. She filled every line with her personal impetus. Her style is gripping, passionate and stormy rather than meek and orderly. She literally dives into the venture of playing the piano and does so with excellent technique and elaborately cultivated tones. She involves her audience in her world from first stroke onwards. She binds one through her unusual but consistently thought-out and well presented pieces. Her interpretation is without compromise; in the slower phrases she shows true feeling without for a moment becoming over-emotional.                                                                                                   – Die Rheinpfalz

 J.Kasahara from Japan performed with brilliance in A. Skrjabins’ piece and also in the following Scarlatti which appears to musically suit her.                                         – Wochenspiegel Saarbruecken

 One, by all a polished Virtuoso…                                                                          – Saarbrueker Zeitung

 Junko Kasahara, trembling like a flame of candle, performed Mozart’s concerto No.21for piano and orchestra. This young pianist gave her presentations to the audience with her brilliant technique of the piano performance and her comprehensions to music with its every essence. …We were able to listen to her Mozart – highly sensitive, a little sad, but playful and very lively-.                                                                                                                              – St.Petersburg Magazine

Junko Kasahara was a queen at the evening. She played concerto E minor op.11 by Chopin. The impression was as if Junko and Frederick understood each other completely. This great composition is overflowed with feeling of love, tenderness, passion and these were resonated by a sensitive talented soul of a performer. Chopin has been played much and in different ways, but Kasahara has created her own way to play Chopin. There were no too loud fortissimo and simple culimination in her playing. However, the audience appraised at its true worth by both will and power of this slim looking pianist, and tenderness and sensuality of the lyrical parts as well. Intimacy was heard without superfluous sentimentality. Her brilliant playing was characterized by lucidity and aestetic elegance. The music of Chopin as performed by Ms. Kasahara perceives a legacy of the european culture. Junko Kasahara acquired “the flight of fingers” and breathing the atmosphere of Russian musical culture, highly honoured in the whole world.                                                                                                                                     – intellectual Capital, St.Petersburg

Junko Kasahara’s autumn concert
The music of Ravel was performed on the International Day of Music at the opening season at the Palace of princes Beloselskih-Belozerskuh. Japanese pianist Junko Kasahara played together with the Saint-Petersburg academic symphony orchestra by Ravil Martynov.
Our good old friend Junko Kasahara appears in Saint-Petersburg constantly in autumn .According to her, the Russian musical cultural tradition, that was born, as it is well known, in our wonderful city, is very strong in the world, That is why she has come and will come back again to Saint-Petersburg.
At the same time Junko Kasahara are constantly giving concerts all over the world. Never forgetting her native Osaka she lives in Germany, performs a lot in Europe and in the USA. The development of her performing skills is being adequately appreciated in professional circles – the number of concert tour offers is only increasing. She won several prizes at international contests and, in particular, at the prestige Rubinstein competition in Paris.
For the current meeting with the Russia audience Junko has chosen the G major concert for piano and orchestra by Ravel. She names Ravel among the composers congenial to her soul. The open temperament of Ravel’s music and traditional outward reserve of a Japanese woman are difficult to bring into a creative concord. But maybe this Japanese woman has her own active Fujiyama deep in her soul! The performance of a young talented Japanese pianist produced such an impression. Although Junko looks very delicate and fragile, she was conquering the piano keyboard by a commanding and strong hand, making the major sounds go vertically to the sky – to the author, and minor sounds envelop the audience penetrating straight to the heart. And she did it! She made our experienced and sophisticated audience listen to the concert with bated breath. The prolonged and sincere ovation was the reward.
Of course, the success of a soloist always depends on her understanding of a conductor and orchestra she plays with. In Junko Kasahara’s opinion, maestro Ravil Martynov, conductor of the orchestra, deserves a high appraisal according to the international music scale. Both, the orchestra and the conductor, who has been directing the orchestra for almos twenty years, are the musical glory of Saint-Petersburg. In foundation of this orchestra took part such outstanding masters of Petersburg conducting school as Nikolai Rabinovich, Karl Elisberg, Eduard Griklov. Later the orchestra was conducted by Jurii Temirkanov, Marius Janson, Evgenii Kolobov and other masters. During last years the orchestra performs on tour a lot and enjoys a great success everywhere, where real and great art is appreciated highly.      – intellectual Capital, St.Petersburg

 

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