音楽誌評より 笠原咸子

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DSC00153 …… ベテランの笠原によるシューベルトばかりのリサイタル。《ソナタ》イ長調D664、《さすらい人幻想曲》、《ソナタ》ハ短調D958と曲目を見ただけでも奏者の意欲が十分に感じられる内容の濃さである。最初の愛らしいソナタは飾り気なく自然体で始まった・・。《さすらい人幻想曲》では勢いが加わり、テーマも丁寧に歌われていた。作為的な要素があまり感じられず、シューベルトを、まるごと喜びをもって受け入れているような演奏で、この曲の長さをあまり感じさせなかった。最晩年に作曲されたハ短調の《ソナタ》では、第2楽章の慈愛にあふれた表現や、終楽章の小気味よいリズムにのって音空間を舞うような可憐な味わい、時おり垣間見えるせつない思いなどを感じさせる。このような円熟した表現はなかなかできるものではない。この大曲を演奏したかった奏者の思いが伝わってきた。あちこちに暗譜の不安を見せながらもシューベルトの素晴らしさは失われなかったが、楽譜を置けばよかったのではと一瞬考えた。しかしやはりこれは暗譜に挑戦して奏者が曲との一体感を求めたからこその表現だったのではないか。ライヴならではの事故はあったものの、ピアノと向き合うひたむきな姿を見せていただいたような気がして、後味の良い演奏会であった。(ムジカノーヴァ誌)

pict_p2_45b…… <素直で自然な響き> ‘モーツアルト ピアノ協奏曲第26番’の笠原咸子は堅実な中堅。てらいも誇張もなく、ひたすら管弦楽に溶け込んだ演奏。その素直さが、自然に色彩と活気を呼び込んで好演となった。この辺はキャリアの力だろう。 (毎日新聞)

…… <音色も豊かで鋭い集中力> ピアノではラフマニノフ、リストなどは女性向きとは言えぬが、それにしては珍しく女性の名演が出た。リスト‘ピアノ協奏曲第一番’をヴィエール フィルで弾いた笠原咸子だ。この曲はリストらしく華麗な名技を要求するが、彼女はよく指が動き、素晴らしい冴えを見せた。ことさら華麗さをあおろうとせず、また意識して端正に作っていくでもない。それでいて音楽に必要な条件はすべてそろっている、という演奏だった。感性や思考が磨き抜かれている証拠だろう。宇宿允人指揮のヴィエールとよく息が合い、音色の豊かさ、鋭い集中力で陶酔を引き出した。彼女は関西の中堅。今回は明るさと華やかさを備えた。 (毎日新聞)

…… 笠原咸子が独奏したリスト‘ピアノ協奏曲2番’は、大曲負けしても仕方ないほど量感のある重い曲だが、彼女は持ち前の一途な激しさと、音色に心を配った細密さも加え、スケールの大きいロマン的情趣をかもし出した。 (毎日新聞)

…… <受けた詩的情緒溢れたショパンに感動> モーツァルトのソナタイ短調K310から演奏が始まった。歯切れの良い前向きのリズム、明確なタッチなどがさわやかな気分にさせる。第2主題の鮮やかな変身ぶりは素直だ。第2楽章の深い情緒に触れて心が落ち着く。第3楽章イ長調の部分での見事な転調ぶりにブラヴォと叫びたい。続くシューベルトの幻想曲ハ長調≪さすらい人≫D760は、音づくりから大きく構え、力で屈服させようと正々堂々と四つに組んで立ち向かった。その奮闘ぶりは誠実で情熱的・・第2楽章でみせた内面の描出など音楽の成熟度は充分・・。休憩の後、ショパンのバラード全四曲が演奏された。彼女は、柔軟に変化するタッチと自然なリズム感、のびやかなフレージングなどを駆使して、詩的情緒に溢れたショパンを存分に楽しませてくれた。この四曲を聴いているうちにショパンー笠原―私という三人が共通するある思念もしくは感情で結ばれているという強い共感を実感して心から感動してしまった。このようなショパンなら何時でも歓迎だが、そう聴けるものではない。 (ムジカノーヴァ誌)

……  ショパンによるリサイタル。打鍵が強いにもかかわらず決して叩いた音ではなく、また低音が豊かに響くため、バランスよく楽器が鳴るのが笠原のピアノといえるだろう。べーゼンドルファーを乗りこなした演奏。音楽もいわゆる男性的な性格で、当日のメインであった練習曲では、各曲の音楽の大きな呼吸を捉え、決して感傷に陥らず、かといって抒情性を失わないという、きわめて説得力のある演奏を展開した。しかも根底のところで熱い。またショパンの楽曲に潜むポリフォニーをなにげなく示してハッとさせるなど、構造に対する配慮も冷静で、誰かが示したような、あるいは一般に流布したショパン像を身にまとうのではなく、笠原自身が永年の演奏から感じ、そしてそれを凝縮したショパン像を明確に提示。ベテランの演奏を聴くことの意義を納得させてくれた一夜。 (音楽の友誌)

……  最初に弾かれた「夜想曲」2曲で、ショパンへの笠原の姿勢は既に明確だった。主役然とした右手の堂々たる歌の背後で、バスと内声は、表情を殺し、有能な召使いのように黙々と和音を響かせる。音の身分制度と呼びたくなる、優雅で厳しい演奏なのだ。「練習曲」全曲においても、このアプローチは変わらない。勿体ないと思うくらい、技術や苦労をひけらかさない、潔い演奏だった。全24曲で、厳格な規律を貫き通した意志を讃えたい。これは、姿勢を正して受け止めるべき、端正で貴族的なショパンだ。 (ムジカノーヴァ誌)

……  毎回大変精力的なプログラムでリサイタルを行なっている笠原咸子が、今回はすべてベートーヴェンのソナタ、それも、精神力とスタミナの持続が要求される曲目で臨んだ。心持ち速めのテンポで始まった「月光」。全体を俯瞰し、大きな流れに身を任せたような手馴れた勢いや心地よい和声感がある。「熱情」は大胆自在なテンポでかなりロマンティックな表現に踏み込んでおり、豊かな歌に溢れている。後期のソナタには慈愛に満ちた表現や若い人には到底真似できない風格もあった。作品111の第1楽章では、立派な柱の通った建築物のような力強い構築性を示し、第2楽章のアリエッタの主題は、愛情深い音色で精神性の高さを見事に表出。表面的に整った美しさや内容のない華やかさばかり求められがちな現在、このように心に染み入るような表現の深さをもったピアニストは尊い。今後もぜひ充実した演奏を聴かせ続けてほしいと切に願った。 (ムジカノーヴァ誌)

……  明晰度の高い音色の故だろうか、「ワルツ」では、粘りつくこともなく爽やかな流れを作っていた。「ヘンデル変奏曲」では洗練された響きが、各変奏の凝縮した曲想を展開。特にダイナミックなアクセントで変奏の位相変化を特徴付けるが、全体としてはチェンバロのような軽快な流れが、ブラームスの透徹した世界を浮き彫りにした形だ。後半に置かれたのは「ソナタ第3番」。情熱的な内面を提示する第1楽章はまさに笠原特有の音色で高い想いへと誘導される。強音も威圧的でなく、深い問いかけとなっていたし、それと対照的な第2楽章での弱音の巧みさは曲全体の内容を密度の濃いものにする一因となった。この楽章と“対”になるように演奏された第4楽章には悲しみ、あるいは苦悩の影が濃厚に加わっていた。これは第1楽章と第5楽章の対比でも感じ取れる構成だ。知的で、高度な技巧を感じさせながらも暖かさを失わない。好感の持てる演奏である。 (音楽の友誌)

……  関西で活躍する笠原咸子のリサイタルは、初期中期のブラームスを集めた渋いプログラムながら、ベテランの味を聴かせてくれた。「ワルツ」第2番はテンポの揺れと楽想の対比に工夫があった。「ヘンデル変奏曲」では、全体としては手堅い造形で、この大作の広い奥行きを明らかにする。たとえば、第5変奏のデリケートな内声を伴うブラームスらしい旋律、第13変奏の葬送風ミノーレ、第25変奏の華麗な切迫感、終結フーガの壮大な広がりなどの表現は特筆に値する。圧巻はメインの「ソナタ第3番」。冒頭、遅めのテンポで和音を明快に響かせて始まる。第2主題の優しい表情から、激しい楽想への感情の昂ぶりは素晴らしい。老練な若僧の顔が随所に現れる。第2楽章がまた美しい。主部の旋律もさることながら、その中間の高音域は、光が明滅するように繊細に音色が変化して、とてもきれいだ。終楽章の厚みのある第2挿入句やフーガ風コーダの高揚も見事だった。 (ムジカノーヴァ誌)

…… 「ショパンの午後」と銘打たれた演奏会は、《幻想曲》作品49に始まる。笠原の演奏には良い意味での「勢い」があった。下手をすると同じところを行きつ戻りつしている印象を与えかねないこの曲で聴き手をぐいぐい引っ張っていく。かといって、音楽が上滑りしているわけではないのだ。続く作品10と作品25の2つのエチュード集でも、そうした「表現の意志」とでも言うべきものが全編を貫いており、圧倒される。作品10でいえば、とりわけ第1、4、12番などが聴き物だった。また、作品25では、何と言っても最後の3曲、第10~12番が圧巻であり、この曲集とプログラム全体をきちんと締めくくるものだった。 (ムジカノーヴァ誌)

…… この夜温まる演奏をしたのはフルブライト留学生でイーストマンに学んでいる小柄なピアニスト水谷咸子であった。ラフマニノフ ピアノ協奏曲 第二番を体に似合わない力強さで演奏し、作品のもつ素晴らしい詩情を表し得た。最後のコードを弾き終ったとき聴衆は皆立ち上がった・・・ (米国・ロチェスター デモクラート アンド クロニクル紙)

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